いざプロフィールを書きまーす、ってなっても実際難しいねw
それに身バレとか怖いのである程度フェイクがあったりごまかしたり…。
そんな俺の生きざまとか書いて行きまーす!
まあ過去記事見てくれるのが手っ取り早いけどねw
簡単なプロフィール
赤根谷薫、アカネヤカオルって読みます。
たまーにアカネタニって読まれるけどね、違うよーw
ちなみに赤根谷という苗字は実在するらしいけど本名ではないからね。
年齢は永遠の14歳、でも最近は14歳から離れすぎてギャップに悩んでるw
でも気持ちだけは中二病なのでどうにかして14歳をやっていきたい。
趣味はゲーム、本当最近はゲームばっかりしているw
幼少期の反動とかでこれからもゲームばっかりするかもしれないってくらいにね。
積みゲー多いよ!
ちなみにそんなに強くなかったりする。
非正規の仕事をしながら作曲もしています。
本当は正社員がしたかったけど…仕方がない。
前職まで運が悪く職を転々としていたけど、やっとリモートワークが出来るホワイト企業にありつきました!
なので最近はほとんど引きこもり生活、健康が来いw
ADHD持ち、後で散々書くけどこの事実に気付いたのは割と最近だったりする。
もうさ…人生詰んでね?ってくらいの事も沢山あってさ。
それでも生きてるのって何だかなあ。
そのためいい年して恋人の1人もいません、一気に5人くらい欲しいw
「赤根谷薫」はこうして生まれ、生きてきた…
生い立ち的なものを書いていきます。
ずっと公開していたものは長ったらしいので色々カットします。
詳しいことを聞きたかったら質問してきて!
答えたくないことは答えない方針なので…返事が無かったらごめんw
生まれてから幼少期
予定日より半月ほど遅く生まれた俺氏、生まれたくなかったのかもしれないw
その時からADHDだったはずだけど気付かれず。
手のかからない乳児時代を経て、人見知りが酷い上に問題行動ばかり起こす幼児に。
幼稚園や保育園の面接もまともに出来ず、集合写真とかレクリエーションも拒否していたらしい。
この時から人と関わるのが苦手です。
そんな俺をどうにかエリートにするべく教育されたけど全部不発。
むしろ包丁でケガをしたりプールでおぼれたり、トラウマばかりが増えたw
辛い小学生時代と親の豹変
義務教育を受けてからも社会不適合者は変わらず。
典型的な発達障害行動をしていたのに誰も気づかなかったのはどういうことだい?
学校は好きじゃなかったけど家も嫌いだったので、消去法で学校に通っていた感じ。
いじめは無かったけどいじられ的な他の人間とは扱いが違っていました。
みんなゲームの話をしていたのに全然話についていけなくて寂しい思いもしたな。
家では勉強ばかりさせられていてゲームなんて都市伝説的な存在だったので楽しくなかった。
一応かなり粘ってお願いしたら買っては貰えたけど、少しでも何かあると没収とか破壊とかされていたのでまともにゲームが出来なかったな。
あと高学年くらいから元々九州男児気質の父親が暴力親父に豹変しました。
勉強が出来なかったら殴る蹴る、運動が出来なかったら殴る蹴る、俺が集団に馴染めなかったら殴る蹴る…。
「お前の成績では中学に入れない」と脅されたな…。
全てが狂った中学時代、空白だらけの10代
そんな親父の脅しとは裏腹、無事に中学校へ入学。
やっぱりどこに行っても馴染めなかった俺の居場所は「ゲームの中」、没収されても破壊されても懲りずにお年玉やお小遣いでゲームを買って隠れて遊んでいました。
結局見つかって台無しになってしまうんだけどね…。
その他にも好きだった音楽の事も否定され、心が休まる日はありませんでした。
そんな生活を続けて14歳のころ、ある大人が俺に「お前なんていなければいいのに」と言いました。
それがきっかけで自殺未遂を決行することになったけど失敗に終わりました。
このころから俺は「永遠の14歳」を自称しているのは内緒の話。
それ以降の事は覚えていない、自殺未遂をしてから流石に父親からの暴力は無くなったものの生き辛さは変わらなかったね。
中学を卒業してからの間も青春を謳歌するなんてことも出来ず。
人生早く終わって欲しいってずっと思っていたかなw
それでも誰も俺をADHDとは気づかず、そろそろ気付こうぜ?
勉強も仕事も何も馴染めず、辛い10代でした。
失敗だらけの20代前半
20歳になると成人として色々なことが制限解除されるため、10代のころよりは生きやすかった。
そう思っていた時期もありました。
いきなり大人の世界に入ったところで全て自己責任になるのが理不尽だったね。
やっとの思いで正社員になっても馴染めずハラスメントに遭い1年で退職。
それからも仕事を始めて辞めを繰り返す生活でした。
趣味の音楽団体でも馴染めず2度目の自殺未遂も失敗。
どうしたらこの地獄から解放されるのか、ずっと考えていました。
親との決別、「赤根谷薫」の誕生
そのまま過ごしていた結果、俺はアラサー一歩手前で何も出来ないダメ人間になってしまいました。
周りは夢を叶えたり社会人生活を謳歌している。
このままでは俺が俺ではなくなってしまうと思い、夜逃げを決意。
そして名前も本名ではなく「赤根谷 薫」を名乗るようになりました。
と言っても現実世界では相変わらず本名名乗るしかないわけだけど…。
元々「薫」と言う名前に憧れていたのと、「赤根」も元々憧れていたけど何かが足りないと思い谷を付け足した「赤根谷」を組み合わせました。
勿論ゲームやSNSの名前も「赤根谷」と言うねw
「赤根谷薫」になっても生き辛さは変わらない
そんな赤根谷薫としての生活がうまくいく…はずもなく生きていくだけで精いっぱいと言う日々が続きます。
独り暮らしもうまく言っていないし仕事も正直微妙。
人間関係の構築も上手くいかない俺は、黒猫のぬいぐるみ「ココナ」を家族として迎え入れました。
だからと言ってどこかで孤独を感じる毎日で…。
そんな中である人のブログを見て、このブログを開設しました。
残念ながらそのきっかけを与えてくれた人はもう活動していませんが…今でも感謝しています。
正直ブログを開設して沢山更新したからと言って生き辛さや絶望感は変わらないけど、少しずつ好きなことをやっていき書いていくことで自分のことがやっと分かるようになってきた気がします。
相変わらず仕事をクビになってたし翌年には白猫のぬいぐるみ「ミライ」を迎え入れたけど。
そして生き辛さの理由がやっと判明!
仕事を何回もクビになって流石におかしいと思いメンタルクリニックに行ったところ、ADHDど診断されました。
いやーここまで時間かかりすぎだってw
そんな赤根谷薫としての生活がうまくいく…はずもなく生きていくだけで精いっぱいと言う日々が続きます。
独り暮らしもうまく言っていないし仕事も正直微妙。
人間関係の構築も上手くいかない俺は、黒猫のぬいぐるみ「ココナ」を家族として迎え入れました。
だからと言ってどこかで孤独を感じる毎日で…。
そんな中である人のブログを見て、このブログを開設しました。
残念ながらそのきっかけを与えてくれた人はもう活動していませんが…今でも感謝しています。
正直ブログを開設して沢山更新したからと言って生き辛さや絶望感は変わらないけど、少しずつ好きなことをやっていき書いていくことで自分のことがやっと分かるようになってきた気がします。
相変わらず仕事をクビになってたし翌年には白猫のぬいぐるみ「ミライ」を迎え入れたけど。
そして生き辛さの理由がやっと判明!
仕事を何回もクビになって流石におかしいと思いメンタルクリニックに行ったところ、ADHDど診断されました。
いやーここまで時間かかりすぎだってw
これを機に色々外に向けて動いてみようかなと思っていたけれど、例のウイルスのせいでそれも叶わず。
タイミング悪すぎだって!
例え年齢が重なってしまっても
ADHDが発覚してからも仕事運が悪く、なかなかうまくいかない人生を過ごしてきました。
相変わらず人から好かれることがないw
素敵な恋人ーとか幸せな家族ーとかは都市伝説なのかな!!!!!!!!
だけど好きなゲームや音楽に触れることが出来て昔よりは自分を生きているって感じかな?
自分を抑えることも減ってきているし、本当の自分へ近づいている気がしているよ。
これからも好きな事をし続けてずっと永遠の14歳を名乗っていきたいw
とりあえずセミリタイアしたいよー!!!