俺のことについてプロフィール書いてみた

プロフィールって言っても正直難しいよなあ!!!

いくらブログとは言えど個人情報の出しすぎは身バレの危険性があるし。

そんなわけなので身バレされない程度にw書いていきます。

よろしくお願いします!

 

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「赤根谷薫」はこうして生まれ、生きてきた…

生まれてから幼少期

とある日、とある場所に俺は生まれた。

予定日は年末あたりだったのに実際に生まれたのはその半月後と言う生まれる前から周りに迷惑をかけていましたw

実際生まれたくなかったと思うよ、うん。

そして俺は生まれつき「あるもの」を持っていたけど誰もそのことには気づきませんでした。

その「あるもの」とは…?

 

乳児時代は手がかからない大人しい性格だった俺、幼児になると豹変しました…。

外と知らない人が怖くて怖くてずっと泣いていました。

保育園や幼稚園の面接に落ちまくっていたらしい、そこは覚えていないけど。

集合写真も拒否、レクリエーションも拒否、とにかく何でも拒否していて皆様参っていたようです。

今思うと非常に申し訳ないけど…実はあの頃からちっとも変わってないのだw

この時から水泳や料理などの英才教育を受けていたものの、すべて失敗に終わりました。

残念ながら俺は生まれながらして社会不適合者のエリートだったようだ…!

 

辛い小学生時代と親の豹変

そんな俺も小学校に入学、恐怖の義務教育の始まりです。

学校はあまり好きではありませんでした。

いじめとかはなかったけど、みんなが同じ方向を見て同じことをしていることが耐えられませんでした。

少しでも違うことをしたら目を付けられてしまう…そんな威圧感をどことなく感じていました。

俺の家ではゲームが禁止されていて、ポケモンやマリオなどの話題についていけずとても悔しい思いもしていました。

それは学年が上がるごとに加速、高学年になると完全に馴染めなくなりました。

それと同時に元々九州男児気質の父親が暴力親父に豹変しました。

勉強が出来なかったら殴る蹴る、運動が出来なかったら殴る蹴る、俺が集団に馴染めなかったら殴る蹴る…。

俺のゲームを買って欲しいと言う願いがやっと叶い生まれて初めてゲームキューブを買ってもらいました。

が、少しでも生き方を間違えると没収され破壊されていました。

それを周りの大人に話すも父親は外では「優秀な社会人」だったため誰にも信用してもらえませんでした。

「お前は頭が悪すぎて中学に入れない」って脅されたことが一番トラウマです。

 

全てが狂った中学時代

そんな親父の脅しとは裏腹、無事に中学校へ入学。

中学になると制服が導入され、生き辛さが更に加速したのを覚えています。

まず、制服がうまく着れない…工程が沢山ありすぎて30分くらいかかっていました。

小学校時代は親父の英才教育(笑)のおかげで成績はまあまあ優秀だったものの「あるもの」の影響もあり勉強についていけなくなりました。

周りの話題にもついていけなくなり、孤立に拍車がかかっていました。

そんな俺の居場所は「ゲームの中」、没収されても破壊されても懲りずにお年玉やお小遣いでゲームを買って隠れて遊んでいました。

結局見つかって台無しになってしまうんだけどね…。

そして音楽、小学生のころからピアノを習っていましたが親父が「音楽をしても何も意味がない」と言う方針だったため何度も辞めさせようとしていました。

周りには音楽が出来る人が沢山いたこともあり、音楽の道は早くも断念することに…。

 

そんな生活を続けて14歳のころ、ある大人が俺に「お前なんていなければいいのに」と言いました。

今まで否定されることは沢山あった。

だけどこの一言がトリガーとなってしまい、自殺を決意することになりました。

結局自殺は失敗に終わったものの、このころから精神年齢は変わらず時が14歳で止まっています。

このころから俺は「永遠の14歳」を自称しています。

正直それ以降の中学生活は覚えていません。

何をするのも怖くて精神的に引きこもっていました。

ちなみに父親からの暴力は無くなったものの腫れ物を見るような状態がずっと続きましたw

 

青春を謳歌できなかった10代後半

中学を卒業してからも正直覚えていません。

空白です。

周りは青春を謳歌していましたが俺は出来ませんでした。

毎日が退屈で「人生なんて早く終わって欲しい」ってずっと思っていました。

貴重な10代後半を台無しにしてしまったけど、もしこの時に戻れたとしても俺は何もできなかったと思う。

と言うか恐ろしすぎて戻りたくないw

 

失敗だらけの20代前半

20歳になると成人として色々なことが制限されるため、10代のころよりは生きやすかった。

…と言うわけにはいかなかった。

この世界はすべてが自己責任、精神的に大人になり切れていなかった俺には辛い世界でした。

仕事を始めては辞めての繰り返し、せっかく苦労して入った正社員も1年で辞めました。

そして親からの妙な過干渉…「この会社はダメだ」「お前は独り暮らしなんて出来ない」と否定される毎日でした。

当時俺には好きな人がいて仲良くしていたのですが、その人からも結構なダメ出しを喰らい人を信用することが出来なくなってしまいました。

その時に2度目の自殺を決意したのかな?

これも失敗に終わりましたが…。

自己嫌悪、失恋、自殺未遂…これらの3つが重なって1年は何も出来ませんでした。

世間体を気にする親は俺を心療内科や精神科に行かせず、かといって社会復帰もさせず、ずっと放置されていました。

このころは本当に腐っていました。

何もせず時が過ぎるのを待っていました。

 

親との決別、「赤根谷薫」の誕生

そのまま過ごしていた結果、俺はアラサー一歩手前を迎えることに。

周りは夢を叶えたり社会人生活を謳歌している。

干支を2周すると言うタイミングで俺は何をやっているんだろう…。

好きなことを否定され、いつまで経っても親の呪縛から離れられない…。

俺は生まれ変わるんだ…!

そう決意し、夜逃げ同然で親と決別、そして独り暮らしを始めました。

その時に「生まれ変わったら『薫』になりたい」と漠然と思っていたので、実際にインターネットの世界で『薫』になることを決意。

苗字は『赤根』と言う苗字が気に入って、でもそれだけでは少し物足りないと言うことで『谷』を足して「赤根谷薫」と言う概念が誕生しました。

これからは「赤根谷薫」として生きていくんだ…!

 

「赤根谷薫」になっても生き辛さは変わらない

人と言うものはそう簡単に変われることはなく、新しい環境になっても生きていくのが精いっぱいで生き辛さを感じていました。

誰とも馴染めない、仲良くなれないと言う過去のトラウマもありました。

好きなゲームをしていても、仲良くしてくれている人と話していても、どこかしら孤独を感じていました。

家族と言うものに憧れて猫のぬいぐるみ「ココナ」を迎え入れたのもこのころです。

だからと言ってどこかで孤独を感じる毎日で…。

そんな絶望の中生まれたのがこの†空想書斎†です。

絶望の中もがくためにこのブログを開設しました。

残念ながらそのきっかけを与えてくれた人はもう活動していませんが…今でも感謝しています。

正直ブログを開設して沢山更新したからと言って生き辛さや絶望感は変わらないけど、少しずつ好きなことをやっていき書いていくことで自分のことがやっと分かるようになってきた気がします。

昔から失敗は怖かったけどこのブログには失敗したことを書けたのでそれも成長なのかな?

昔のままだったらそんなこと絶対に書けなかったけどね。

例えそれが俺自身の失敗じゃなかったとしても。

 

「あるもの」の正体

ブログを開設してからも仕事を1年で2回もクビになったり、やっといい場所を見つけたと思ってもプレッシャーを感じて息苦しい毎日…。

これは流石におかしいと思い、精神科で実施していた無料のカウンセリングを受けることに。

そこで「WAIS」と言う知能検査を勧められ保険適用で受けられる病院を探しました。

やっと判明した「あるもの」の正体…それは「発達障害(ADHD)」でした。

そう、俺は生まれてからずっと発達障害と共に生きていたのです。

判明した時は「だから俺は普通じゃなかったんだ…良かった…」と言う安心感と「ここまで症状が出てるのに誰も気づかないのか…はあ…」と言う不信感がありました。

とにかく「あるもの」の正体が分かったのでこれから前進してみせる…!

と思ったらCOVID-19の影響で色々自粛することに…。

 

発達障害児、30代を生きる

それからも職場の人に嫌がらせを受けて退職したり、新型コロナウイルス陽性になって大変な目に合ったり、色々ありました。

そんな俺もとうとう三十路になりました。

生き辛さと言うのは少しは和らいだかな?

あと自分らしく生きると言うことに抵抗が無くなったような気がします。

仕事が続かなくても普通じゃなくても俺は俺でいいんだ!

そう思えるようになりました。

数年ぶりに好きな人が出来てあの時止まってしまった時が動き出したような気もするのです。

だけど俺は「永遠の14歳」を自称するけどねw

今までみたいに14歳で時が止まっているからではなくて、いつまでも14歳のようにアグレッシブに生きていきたいと言う意味で「永遠の14歳」なのです。

そんな痛い30代を過ごすぞー!

 

今後の目標

そんな俺、赤根谷薫ですが…。

 

音楽活動を続けていく

赤根谷薫になってから作曲に手を出したりピアノを復活してみたり…と好きな音楽に取り組んでいます。

全然人気になれなくて何度も諦めたけどねw

だけど俺には音楽がないと生きていけないな、って思いもあり音楽活動をずっと続けていけたらなと思います。

ただ人見知りな上に目立つのも好きではないので表舞台ではなく、自分のあった場所で活動していきます!

 

好きなゲームも沢山遊ぶ

昔から隠れて遊んでいたのもあって未だにゲーム大好きです!

ゲームだけで時間が過ぎていくw

別にゲームだけに固執するわけではないけど好きなものなので、気が済むまで遊べたらなと思います。

ブログのネタにもなるからね!

本当若いときに十分に遊べなかったのが悔しい…!

だけど嘆いても仕方がないので、今沢山遊びます。

 

自分らしく生きる

失敗してもダメ人間でもいいじゃない!

完璧を演じてもどうせ息苦しいから、自分らしく生きて人生を楽しみたいです。

今までが暗すぎたのでそれを取り戻すくらいの勢いで自分になります。

「赤根谷薫」は今後何があっても「赤根谷薫」なので!

 

とにかく幸せになる!

これが今後の課題、幸せと言うのがあまりイメージつかない…w

でもね、父親と決別する前とか発達障害が発覚する前とかと比べたらかなり幸せなのだ!

ちゃんと前を向けているし幸せになっている。

これって何気にすごいことじゃないかな?

この調子で社会不適合者でも発達障害者でも幸せになる!

 

2022.4.23 赤根谷 薫

2019年6月20日

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